出版社/著者からの内容紹介
「信長は運のええ人やった。でも、お友達がいなかった」「高杉晋作は時代が生んだ風雲児。でも飽きっぽいのが玉にキズのプランナー」「足利尊氏はガムシャラになりきれなかったサラサラおじさん」……売れっ子落語家が、日本史を賑わした人物達の生き様を独自の噺家的視点で徹底的に分析。笑っているうちに歴史が学べ、いつの間にか日本史通になるユニークな入門書。現代に活かせる教訓もいっぱい入った、ありがた〜い一冊。
抄録(「電子書店パピレス」より)
坂本龍馬 一八三五〜六七年(天保六〜慶応三)
出会いを生かしたバリラックス人間
坂本龍馬《さかもとりょうま》、この名前を開いただけで、私、胸がキューンとなるんです。まだ高校生やったころ、司馬遼太郎先生の『竜馬がゆく』を読んでいたく感激し、わざわざ京都東山にあるお墓までお参りにいったものです。その憧れの龍馬さん(思わず「さん」づけになってしもたりして)が本日の人物とは……。なんか、青春時代のほろ苦い思い出と緊張感が交錯して、喋る前から舌がもつれそう。
変わり身の早い快男児──●
龍馬は小さいころ、えらい劣等生やったそうです。十歳を過ぎてもご飯をボロボロこぼすわ、おねしょはするわ、泣き虫で鼻水ばかりたれているわ、十二歳で入塾したもののケンカが原因で中退させられるわ、今で言うたら“落ちこぼれ”の代表選手。エッ、それやったら、うちの子も龍馬のように偉くなれるんと違うやろうか、やて?
ウーン、可能性はあるでしょうねぇー(と言葉を濁す)。
まあ、子供時分の成績がアテにならないのは確かで、あまりカリカリせんことです。龍馬は、暗記の勉強が大の苦手だったらしいですから。ただ、一を聞いたら、十どころか百を知るくらい非常にものわかりが早かったとかで、たとえば、漢文を、レ点・返り点とかに関係なく、頭からずーっとながめて意味がわかったというんですから、よっぼど勘がよかったんでしょうね。
それと、乙女《おとめ》という姉さんが偉かった。お母さんが死んだあと、「龍馬、がんばりや」と、母親代わりになって剣術や馬術、読み書きなどを仕込んだのが、乙女姉さん。龍馬も姉さんのいうことはよく聞いたみたいで、この二人、実に仲がよくて、大きくなってからも、龍馬は乙女姉さんにしょっちゅう手紙を書いています。そのおかげで、龍馬がどこで何をし、何を考えていたのかというのが、手にとるようにわかったという話ですから、歴史に名を残そうと思ったら、自分で本を出すか、誰かに編纂させるか、それとも手紙を書かなあきません。
となれば、歴史上の人物候補の文珍も、明日から早速手紙を書かな。というても、残念ながら姉さんがいてないんやった。かといって、「ちょっと、ねぇーさん」とうっかり声をかけたら危ないし……。誰ぞ、私の歴史の証拠を残しておいてくれる奇特な人があったら、お便りちょうだい。
冗談はさておき、単純明快なところも龍馬の魅力の一つでいさぎよしょうね。自分が間違いだと気づくと潔《いさぎよ》くスパッと変える。いい例が、ばりばりの壊夷論者である千葉重太郎《じゅうたろう》と二人で勝海舟《かつかいしゅう》に会いにいったところ、海舟から「今、最も大切なことは足らざるところを補い、優れるところを(外国から)取り、進んで修好を求め、国富を増すことである」と諭されると、バッとひれふして弟子入りを志願する。千葉道場で剣の修業をし、塾頭までつとめたのに、「これからはピストルの時代や」とピストル派に転向したかと思えば、次には「ピストルの時代は終わった」と『万国公法』という法律書をふところから出してみせる。
自分の非を正すというのはなかなか勇気のいることで、とかく自説にこだわって墓穴を掘りがちなのが人間なんですが、龍馬はその点、間違っていると思ったら「あっそう、やめるわ」とサッと撤回してしまう。ぜんぜんこだわらない。そのくせ、一つひとつのことに対しては熱中型で、これと思ったら夢中になって、鉄砲玉のようにガーッと行く。そんな臨機応変な面も持ち合わせていた快男児だったんじゃないかと思いますね。
そもそも、“時代”という列車はいつしか引込線に入るわけで、必ずトランジット・ポイント、つまり乗り換え地点がやってくる。若くしてグローバルにものが見られた龍馬は持ち前の勘のよさで、海舟から「時代はこうや」と言われたら、パッと流れが見通せたんでしょうね。実際、龍馬の生き方を見ていると、時代の節目節目にいろんな人と出会い、その出会いのチャンスを逃さずに、ここだと思ったらスーッとそっちへ行く。海外への目を開いてくれた土佐の河田小龍《かわだしょうりゅう》しかり、弟子入り志願した勝海舟しかり、ほかにも佐久間象山《さくましょうざん》や横井小楠《よこいしょうなん》ら多くの賢人、偉人と巡り合い、乗り換えるべきポイントで間違わずに乗り換えています。
著者について
桂 文珍(かつら ぶんちん)
1948年、兵庫県生まれ。大阪産業大学卒業。本名、 西田勤。1969年、桂小文枝(現・文枝)に入門。落語家として人気を得る一方、ニュースキャスターや、関西大学の文学部非常勤講師としても活躍。