ブロードバンド革命への道

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著者:千本倖生
価格:¥ 998
経済界


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■ 内容紹介

出版社/著者からの内容紹介
 高スピードで変化する環境に適応していかねばならないベンチャー企業で、常に闘いを挑みつづける、イーアクセス社長・千本倖生氏の“通信革命”人生から、「通信を巡るマスコミ報道の裏側」が見えてくる! 『経済界』の連載に加筆修正して単行本化。


抄録(「電子書店パピレス」より)
 大阪で私は「INSの伝道師」と呼ばれるようになる。「テレコム」における北原氏の講演から一年がたち、世界の通信企業はISDN(Integrated Service Digital Network=統合サービスデジタル網)の構築へと動き出していた。INS(Information Network System)はその日本版であり、電話、データ通信、ファクシミリなど、ばらばらに構築されている電気通信網をデジタル伝送方式により光ファイバーなどを使って統合しようとするものである。いわば、「日本列島電気通信網改造計画」と呼んでもいい。
 「INSはこれまでの物を作る経済を一変させる可能性を秘めています。これからは情報化経済の時代なんです。それは近畿圏の経済にも大きな影響をもたらすことになります」
 私は、ありとあらゆる機会、場所を選んでINSの普及と啓蒙を訴えて回った。この年七月には東京・名古屋・大阪の三都市間でファクシミリ電送が始まり、ちょうど経営者が「情報化」に関心を持ち始めた時期ということもあって、私の言動は関西でそれなりに大きな注目を集めた。関経連、大阪商工会議所などの各種経済団体の集まりに頻繁に招かれるようになったし、関西電力、サントリー、東洋紡、神戸製鋼といった関西を代表する企業にも招かれて講演を行った。
 私が関西の「INSの伝道師」ならば、東京本社の「伝道師」が後にNTT取締役を務めた式場英氏だった。式場氏は九七(平成九)年に六十三歳で急逝されたが、良い意味で技術者くずれの先輩であった。
 話は横道に逸れるが、大阪時代に松下幸之助氏の謦咳《けいがい》に接することができたことは私の大切な思い出となっている。この年四月、東京ディズニーランドが開園、日本中から多くの観光客が殺到していた。そこで関西経済の地盤沈下を抑えるために、大阪で大阪城博覧会を開催しようという話が大阪二十一世紀協会を中心にまとまった。会長に幸之助翁を推す声が強かったが、「経営の神様」に恐れをなして、会長就任を依頼する使者のなり手がいない。そこで向こう見ずにも、若い私がその使者役を買って出た。
 幸之助翁は一八九四(明治二十七)年の生まれというから、当時八十九歳。使者に立った私はまだ三十九歳の若さである。幸之助翁の心境はいざしらず、周囲はとんでもない若造が「神様」に会いにやって来たと思ったに違いない。
 門真市にある松下電器本社二階の役員室がずらっと並んだその奥に幸之助翁のいる相談役室があった。室内が和風に作られていたのが印象的だった。夏の盛りだったが、エアコンの効いた室内は快適だった。私が単刀直入に大阪城博覧会の会長就任を依頼すると、幸之助翁は思ってもみなかったほどあっさりと引き受けてくれた。
 その後、話が弾み「今後、松下の経営はどうすべきか」まで話題が及んだ。ここまできたら、遠慮はいらない。私はINS普及の必要性を説き、「家電から情報産業へシフトする時期が来ているのではないか」と進言した。
 今思い返しても、「神様」相手によくあれだけのことを言えたと思う。私は、まだ若かったが、若いがゆえに純真な使命感に燃えていた。幸之助翁には、若者のそうした情熱を素直に受け入れる度量の大きさがあった。だからこそ、最後まで黙って聞いていてくれたのだと思う。
 どこを気に入られたものか、私はその後、何度か幸之助翁から直々の呼び出しを受けて相談役室を訪れ会話を交わした。もっとも、幸之助翁の話す言葉の内容は、私にはほとんど聞き取れなかった。確か六笠さんという秘書役がいて、「今、幸之助はこう言っております」と通訳をしてくれた。そのころ幸之助翁は身体が弱り、松下病院から相談役室に通っておられたように記憶している。「翁」と呼ぶのがぴったりな風貌なのだが、話が核心に入ると目をらんらんと輝かせ、背筋までシャンとしてくる。その姿は「経営の神様」と言うよりも、まさに「事業の鬼」のように私の目には映った。
 幸之助翁が主宰する大松下の最高経営機関である松下経営研究会に呼ばれて、講演を行ったことも一度ある。朝七時に迎えのハイヤーに乗り込み、松下本社の大講堂に出掛けると、松下グループのお歴々が総出で待っていた。正面に幸之助翁が膝掛けをかけて座り、その隣には正治社長が身じろぎもせずに座っておられた。ビデオに収めるためか、数台のテレビカメラまで用意されていた。ピーンとした空気が張り詰める中で、私は来るべき情報化時代とはどのようなものかを語った。
 幸之助翁に最後にお目に掛かったのは、第二電電の旗揚げが決まった直後だった。ご挨拶に出向いた私は、幸之助翁自ら筆を取って巻紙に書いた「手紙」を頂戴した。そこには、「私がもう少し若ければ、指導も協力も惜しまないのだが、それはかないそうにない。二十一世紀の日本をより良い国にするために、稲盛さんを助け全力を尽くしてほしい」という激励のメッセージが墨痕も鮮やかに記されていた。


著者について
 千本 倖生(せんもと さちお)
 イー・アクセス株式会社代表取締役社長兼CEO
 京都大学工学部電子工学科卒業後、日本電信電話公社(現NTT)入社。フロリダ大学大学院博士課程修了、工学博士(電子工学)。83年第二電電(現KDDI)を共同創業し、副社長。96年慶應義塾大学大学院教授。99年イー・アクセスを設立、以来現職。

■ インデックス

序章 ブロードバンド革命の跫音《あしおと》
 オールドエコノミーに訣別を
 通信市場の開放が日本を活性化させる


第一章 古都で育まれた起業家精神……
 父から受け継いだ「起業家のDNA」
 「心の師」グリン神父との出会い
 「通信の時代」への予感


第二章 「日本の可能性」に懸ける……
 価値観変えたアメリカ留学
 理想を見失わないアメリカ
 「デジタル」「光」の黎明を開く
 奥深い人間性が必要だ
 電電改革の嵐の中で「天命」を知る


第三章 人はそれを「無謀」と言った――第二電電の挑戦……
 運命的な出会い
 たったひとりの理解者
 立ちふさがる三つの壁
 「絶対不利」をはね返す
 時代を変えた革新性
 常識への挑戦こそベンチャーの原点


第四章 教育無くしてベンチャー無し……
 日米格差を生んだ起業家育成の基盤 
 リスクのある夢を持て
 「草の根」レベルでベンチャー育成


第五章 大きい夢を描く――イー・アクセス創業……
 矛盾あるところチャンスあり
 世界に通用する正統派ベンチャー企業を
 ブロードバンド革命の夜明け


終わり無き闘い/あとがきに代えて

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「ブロードバンド革命への道」紹介ページの最終更新日時
2009年7月8日 17:33:07
ID:179
※実際の販売・ダウンロードは『電子書籍パピレス』にて行われます。