出版社/著者からの内容紹介
実体験にもとづいた経営危機管理のノウハウを、年間100件以上に及ぶコンサルテーションの実際の中から選び抜かれた実例を通して“伝授”! “倒産”のことを正しく理解して“経営危機管理術”を身につけよう。これでもう、倒産なんて怖くない!
抄録(「電子書店パピレス」より)
――相談内容は大きく二種類に分かれる。
一つは「いかにダメージを少なく倒産するか」であり、もう一つは「いかにして倒産させずに回避できるか」である……。
経営していた会社が倒産後、わたしの生活は一変した。それまで会社の運営に毎月四、五百万円ほど必要で常に資金繰りのことが頭を離れなかったが、毎月三、四十万円程度あれば事足りるようになり、自分と家族が食べていけるだけの生活を考えればよくなった。
わたしはもともと広告やマーケティングのプランナーで、会社に就職する必要はなかったので、再びフリーでやっていくことにしていた。もちろん、倒産によって全財産をなくしたわたしにとって、家族を養う収入を確保することすら容易ではない。しかし、会社経営のときと比べると精神的には圧倒的に楽で、なによりも暇がたくさんできた。
■「倒産コンサルタント」になった理由
破産宣告を受けた直後だった。わたしが粗大ゴミ置き場から拾ってきたソファにひっくり返って破産者としての身の上をしみじみ味わっているときに、古い友人から電話がかかってきた。月末の夕方四時ぐらいだろうか、まだ寒い季節だった。
「大変なことになった。うちの社長が不渡りを出して逃げちゃったんだ」
「今どこにいるんだ?」
「会社近くの喫茶店。債権者が来ているらしくて会社に行けないんだ」
「わかった。すぐに行くからそこで待っていてくれ」
友人は広告制作会社の常務取締役でグラフィックデザイナーだった。喫茶店の場所を聞いて、わたしはポンコツのルノーサンクに乗って銀座に向かった。駆けつけて聞いたところ、会社には市中金融の男が来ていてコピーライターの専務取締役が身柄を押さえられているとのことだった。社長からはまったく連絡がない。現在進行中の仕事もあり、得意先に迷惑をかけそうな成り行きだった。
電話をかけると専務が出る。話しづらそうではあったが、ホットラインは結ばれていた。まず専務に電話で指示した。自分も保証債務を抱える被害者で社長に不信感を持っていると話し、市中金融の男と一緒に鍵をかけて会社を出ること。会社を出たら、市中金融の男を完全にまいてから会社の前まで戻るように伝えた。
会社の前にクルマをつけ見張っていると、専務がいかにも剣呑《けんのん》そうな男と出てきて、なにやら話しながら京橋方面に去っていった。しばらくすると会社の前まで戻ってきた。わたしたちは周りを観察しながら専務をクルマに呼び込んだ。
■天津丼記念日
専務の唇は完全に乾いている。唇が張り付いてしゃべりにくそうにしているのを無視して訊き出すと、昼過ぎに社長から電話があって今日不渡りが出ること、今は金策しているがどうにもならないと彼は聞かされていた。そして会社を出て、自宅で連絡を待とうと思っていた矢先に市中金融の男がやってきて、「社長を出せ!」の「居場所を教えろ!」のと脅されたということだった。市中金融の男と別れるときも、「社長から連絡が入ったらすぐに電話しろ!」と携帯電話の番号を渡されていた。
ただちにもう一台クルマを用意させて、進行中の仕事と会社の経営資料を運び出させる手配をした。その作業は深夜に及んだ。
わたしは動揺している二人に、明日になったら得意先に事情を話して、進行中の仕事は個人の責任で完遂《かんすい》する旨の連絡をすること。二人とも携帯電話を手に入れて、得意先にはこれからの連絡先は携帯電話になることを告げること。それから保証債務は差し押さえなどの強制執行から守るために、債権者との交渉には弁護士を雇うこと。家族にはきちんと話をすること――といったアドバイスをした。
会社の荷物を運び出し、疲労困憊している二人と食事をしたのは、深夜もかなり遅い時間になってからだった。新橋の深夜営業の中華料理屋だった。
「この天津丼は一生忘れないものになる」
「今日を天津丼記念日と呼ぼう」
やっと笑みがこぼれた。広告屋らしく、軽口は忘れない二人だった。
このアドバイスが功を奏して、今まで会社の仕事だったものをほとんど個人の仕事にスライドできた。皮肉なことに彼らの収入は役員時代よりも多くなった。金融機関との交渉もうまく進んだので、長期の延べ払いでの返済にこぎつけることができた。
その後、社長からの電話で右往左往したり、債権者からの連絡にビクビクしたりと修羅場はたくさんあったが、それも一段落するとコピーライターの元専務がわたしに言った。
「いやあ、本当にありがとうございました。内藤さんは実にいろいろなノウハウを持っているんですね」「別にノウハウというほどのことはないと思いますが」
「そのノウハウを埋もれさせておくのは惜しいので、本を書きませんか。これは、人助けになるのですからぜひ書いてくださいよ。出版社は僕が紹介しますから」
彼の口利きで、わたしは本を書くことになった。それが、自分の体験を踏まえて書いた『倒産するとこうなる』(明日香出版社刊)である。
わたしが何の参考書も見つけることができないままに、破産管財人の先生の話によると「最も悲惨な倒産」を経験していたので、倒産に際して役立つマニュアルを書き残しておきたかったという思いも強くあった。
この本が思いもかけずに売れた。と同時に著者紹介の欄に連絡先(初版は携帯電話の番号だけ)を書いておいたため、フリーのプランナーとしての再出発を模索していた私の本業ができなくなるほど、相談が殺到したのだった。
それがきっかけで、わたしは「倒産コンサルタント」として歩き出すことになるのである。
著者について
内藤 明亜(ないとう めいあ)
経営危機コンサルタント。
1946年、東京都生まれ。広告の世界でプランナーやディレクターなどとして活躍。1979年、マーケティング会社を設立。代表取締役兼ディレクターとして15年間会社を経営するが、1994年会社が倒産、以後フリーとなる。
現在、自らの倒産経験を生かして、中小企業からの経営相談、講演、執筆など幅広く活動中。著書に『倒産するとこうなる』『7人の倒産社長に学べ』(ともに明日香出版社刊)『倒産警報』(毎日新聞社刊)などがある。